Vol.16 デザイナー夫婦が名寄で取り戻した、自分たちの心地よいリズム。
化学反応が生まれるまち
【昇平さん】
名寄に移住してきたのはコロナがきっかけです。もともと海外でグラフィックデザインの仕事をしていたのですが、コロナ禍に日本に一時帰国して戻ろうとしたらビザが下りなくなってしまって。あ、これはコロナが終わるまで日本にいなくちゃいけないなと。
幸い、もともと所属していた会社からの仕事をリモートワークで続けられていたので、インターネットの環境があれば住む場所はどこでも良かったんですよね。それだったら田舎で、自然があるところがいいじゃないかと、昌子の地元である名寄市に住むことにしました。
当初、長く住むつもりはなかったんですが、蓋を開けてみたらストレスフリーな暮らしができたので気に入って。僕にとっては、ものや情報がありすぎない暮らしの方がシンプルでストレスがない。これまで東京で仕事していたときなんかを振り返ると、情報が多すぎて自分が何がしたいか分からなくなっていた時期もあって。自分を見失って、転職回数も増えてしまった。
名寄は、生きていくのに最低限のものだけがそろっています。比べるものや余計なものがないから、自分のスタイルに集中できる。自分のリズムで生きていける場所だと思います。
【昌子さん】
私は名寄生まれなので、Uターンして戻ってきたということになります。友達がたくさんいるので、名寄はいわば『帰ってくる場所』。戻ってきた当初は、昔からの友人のコミュニティだけでこれから過ごしていくんだろうなと思っていました。でも、名寄で仕事をしたり、市役所の移住担当の方に紹介してもらったりしたことで、新しいコミュニティも増えてきたんです。
しかも、新しく名寄でできた知り合いと古くからの知り合いが繋がったり、枝分かれしたりしていって。名寄で誰かと知り合うと、その人がこれまでの知り合いの誰かと繋がる。名寄がコンパクトなまちだからこそ、そんな化学反応が起きます。そこが名寄の好きなポイントでもありますね。
東京と海外、名寄の違い
【昇平さん】
名寄に越してきてからは、会社を立ち上げてフリーのデザイナーとして働くことにしました。前職で繋がりのあったマレーシアやシンガポールの会社からお仕事をもらっていましたが、徐々に日本でのお仕事も増えてきました。今では全体の6~7割は日本の仕事ですが、その中でも名寄市役所や観光協会など、名寄市内からお仕事を依頼いただくことも多いです。
【昌子さん】
私は逆に海外からの仕事がほとんどですかね。シンガポールの飲食店のホームページ作りや、たまに昇平の仕事を手伝ったりしています。
【昇平さん】
東京などの都心にいた方が、仕事の可能性が広がるのかもしれないけれど、その分担い手もたくさんいる。でも、名寄はデザイナーの数も少なく、お仕事の依頼が舞い込んで来るんです。自分の価値を高めるにはいい場所かもしれない。
地方に住んでいたって活躍している人はいますよね。僕も、名寄にいたとしても関係なく、どこでも通用するような人に成長していきたいな。
名寄での「ゆるい」古民家暮らし
【昌子さん】
古民家をリノベーションしたこの家はとても気に入っています。
東京の家賃の半分位で住めるのに、一軒家で庭も駐車場もあって、ゆるく暮らせる。好きな時に庭でバーベキューをしたり、満月の夜には庭に椅子を置いて眺めたり。昇平は、庭で仕事することもあるよね。
【昇平さん】
基本的には家で仕事をしているから、2時間に1回くらい外に出て外の空気を吸うんです。すると隣の家の人と出くわして、30~40分くらい話しちゃう。
名寄に来てから、空気の吸い方が変わりましたね。
プロフィール
満吉 昇平/満吉 昌子
(昇平)1984年鹿児島県生まれ。2021年に名寄市に移住し、デザイン会社であるキツネトシカを設立。(昌子)1983年北海道名寄市生まれ。昇平さんとともに2021年に名寄へUターン。
海外から戻ってきたときに「日本って天災が多いな」と思ったんです。地元である鹿児島も火山とか台風があったので特にそう感じたのかもしれません。でも名寄の天災は雪を乗り越えられれば、地震も台風もなくていいですよね。