Vol.28 諦めかけたラジオの道、名寄でつながり気づけば10年

自分の生きる意味を探して、ラジオを見つけた
頭の良い兄がいて、そんな兄に劣等感をずっと感じていました。「自分の生きている価値はなんだろう」なんて思い悩んでる時期もあって。そんな中、高校受験の勉強をしていた時に「勉強のお供にラジオがいいぞ」と兄から勧められラジオを聴き始めました。当時「SCHOOL OF ROCK!」という10代に向けた音楽番組を聴いていて、リスナーの気になる投稿や質問にパーソナリティが直接電話をかけて話すコーナーで、俺と同じ歳で同じ悩みを抱えている人がいました。その人にパーソナリティは「大人も分からないんだから、そんなの中学生の君が考える必要ない」って笑いながら言っていて、その時ぐらいから憑いていたものが無くなったような気がしたんです。それからは、自分の言葉で想いを伝えたいと強く思うようになり、ラジオパーソナリティを目指すようになりました。当時ノートに詩を綴っていたのですが、そこに決意表明を書いていて、今でも大切に持っています。

ご縁とタイミングが重なって出逢えたラジオ局
ある時、専門学校の先生から「お前はラジオに向いていない、諦めろ」と言われ、突き放されたと酷くショックを受けたことを今でも覚えています。それから、日本全国のラジオ局に何十件と履歴書を送りましたが全部落ちました。このままラジオ局に就職出来なくても、自分が納得できる企業に入社しようと思い、プロジェクションマッピングなどを行う企業に半年インターンに行ったんです。周りの先輩方とも仲良くなって「俺はここで働くんだ」って気持ちになっていた時「やりたい事あるんだったら他のとこ行きなさい」と翌週に卒業式を控えたタイミングで落とされてしまって…。周りの同級生はもう就職先も決まっていて、プロの現場を経験してる人もいる状況に「どうしようも無いな」と思いながら、インターン先から返すと言われた履歴書を取りに行きました。そこで社長に今後のことを相談したところ、数日前に履歴書を送ったラジオ局とコネクションがあったようで、その場ですぐに電話をかけてくれたんです。ラジオ局側も喋れて機材も触れるような、即戦力になる人材を探していて、同じ専門学校の先輩を雇った実績もあったりと、ご縁とタイミングが重なって念願のラジオ局に入社できたのがAirてっしでした。

コミュニティラジオで自分ができること
名寄がどこにあるかも知らない状態で来ましたが、引っ越した日の夜にキツネと猫が向かい合っている様子を見て「名寄に来たんだな」と感じました。名寄への第一印象は“田舎”でしたね(笑)こっちに来てすぐの頃は家の辺りをよく散歩していましたが、迷った時は近所のコンビニの看板を探して上を向いて歩いていたんです。その時「名寄は星空が本当に綺麗だ」と札幌との違いをよく感じていました。
仕事では、入社して2か月の時に夕方の帯番組を任されて、8年間番組を担当しましたが、今は入社当時から続けている、月2回放送の音楽番組と朝の「おはようてっし」を担当しています。俺は特段喋りが上手いわけでもないし、スポーツにあまり興味がなかったり、そういう意味ではラジオは向いていないと思います。だけどそれも個性になる、そんなパーソナリティが居ても良いんじゃないかって思います。今は動画配信サイトなどがたくさんある中で、同じ時間を共有できる人ってそういないですよね。その中で番組を聴いてくれている人を楽しませたいと思っています。ラジオへの想いや熱量は中学生の頃から変わらないですね。



プロフィール
髙嶋 修平
札幌出身、ラジオパーソナリティを目指して札幌の専門学校に入学。2015年に卒業後、就職のため名寄に移住。地域ラジオ局Airてっしのラジオパーソナリティ。
名寄に来てすぐの頃、先輩に旭川に遊びに行く人が多いと聞き、どうやって行けるか聞いてみたんです。そしたら「国道40号を真っすぐ行ったら着くよ」って教えてもらって。じゃあ行ってみるかとロードバイクで旭川を目指したことがあって…。1回目は剣淵の道の駅で限界が来て引き返しました。2回目は塩狩峠の蕎麦屋さんで。3回目でようやく旭川まで行けました。その後は2,3回ロードバイクで旭川まで行っています。ラジオの良いところは、こういう話もネタになるところですよね。
- ホームページ:Airてっし